物欲と心の豊かさ 1(気になる事)

September 01, 2014

こんばんは、宮島です。少し前に、NHK朝の連ドラを「おしん」以来何十年ぶりくらいに見ました。
「花子とアン」時代は昭和初期あたりの話です。英語が得意な女学生ハナが、アルバイト先の出版社で小間使いばかりさせられて友達にグチっているシーンでのセリフ。「小間使いでも、働くことが出来て、お金を手にして好きなものを買えるって、 なんてすばらしい事でしょう。それで自分の辞書がもてたらどんなに幸せかしら」グッと来てしまいました。吉高ゆりこがとてもかわいい、ということはおいといて、「モノが欲しい!」という欲望に。そして、努力して物を手に入れた時の喜びを想像したら、なんか、いいなぁ~と思ってしまったのです。

ボクにとって、欲しくて欲しくていてもたってもいられず、バイトにつぐバイトを重ね、ようやくの思いで手に入れたといえば、ラジオカセットレコーダーのAIWA810であったり、ミノルタXDであったり、ホンダCR-Xであったりしたものです。もしラジカセを手に入れられたら、好きなバンドのベスト盤テープを自由に編集できるんだ、とか手に入れた時のことをワクワクしながら想像する気持ちが大きいほど、実現した時の感激も大きいかったことが、ついこの間のように思い出されます。
このドラマの時代は、大正~昭和初期、今から100年くらい前の日本。学生時代に歴史の授業は、そんな昔の事を暗記して何の意味があるのかと、思っていましたが、今は、自分たちのじいさん、ひい爺さん達がどんな家に住み、どんな暮らしをしていたのか、何をかっこいいと感じ、恥ずかしいと感じられた時代なのか。それを読み知り、そこで先人から学んだり、当時の人たちの社会や生活、自分がその立場にもし生きていたら、と想像することが、歴史の面白さであると思えるようになりました。

小学校の時、ボクの好きな先生が言っていました。1945年 終戦の年、戦争でひどい目にあわされた挙句、空襲で東京中が焼け野原となり、アメリカは原子爆弾を投下することを判断し、日本は街を焼き払われ、多くのモノを失いました。しかし、そこにはもう毎日何かに怯えることなく、これから何でもできる自由さを手に入れられた気がした、と。そこから日本は奇跡的な復興と成長を実現しました。

1980年、戦後35年目の国民生活意識調査。
「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」とする人々の割合40.9%
「まだまだ物質的な面で生活を豊かにすることに重きをおきたい」とする人々の割合40.3%

戦後初めてモノが満たされている、と考えた人の割合が大きくなったそうです。2015年は、そこからさらに約35年。35年という時間がたった今、モノも情報もあふれているけれど、心の豊かさやゆとりのある生活は、いまだに満たされているわけではありません。

パソコン、薄型テレビ、スマートフォンが量産されてみんなに行き渡りました。企業がモノを作って売り、消費者はそれを手に入れて生活が便利で豊かになる、また、次に欲しい商品を手に入れるために仕事を頑張る、という繰り返しは、日本では随分前にピークを越えているので、企業は、まだモノが行きわたっていない新興国に商売の場を移しています。これから出てくる革新的な新製品はどうでしょう。家庭用ロボット、ウェアラブル携帯、美容や長寿などの医療関連の新技術など。ワクワクするような欲しいモノは、もう現れてこないような気がします。つねに、モノを手に入れる事と対比されて語られてきた、「心の豊かさ、ゆとりのある暮らし」とは、いったい何を意味するのでしょうか。