日本人の権利感覚 vol.2 働く女性(時事ネタ)

April 20, 2015

こんにちは、宮島です。元メンバーの岡本は、妊娠オメデタから8か月目まで働いて、先月退職して島根へ帰郷しました。仮に、彼女が東京での生活を継続し、出産前後休暇や育児休暇を取ることを希望していたら、その間の給与や待遇をどうするか、休暇中の役割をどうするのか、「まあそんな時が来たら、その時考えるか」としか考えていなかったので、現実を目の当たりにして、これはちゃんとしないとマズイなぁ、と。ボクのこんな脇の甘さは、あらかじめすべてが与えられているサラリーマン根性がまだ抜け切れていないいい証拠ですね。

そんな昨年の同じ時期にあるニュースが目に留まりました。広島県の病院での出来事が訴訟となった、「マタハラ訴訟、妊娠による降格は均等法違反!」。マタハラ=妊娠出産に関する職場で女性へのいやがらせのことで、25%の働く妊婦はマタハラ経験があるのだとか。そのマタハラが認められるかどうか、日本初の最高裁の判断が注目を集めていました。この結果について、世間の評価はどうだろう?とインターネットを見てみると、
【評価する】 マタハラ被害者の女性の会のようなグループや、主なメディア 「女性が働き易い社会の実現への第一歩だ」 「企業は女性の妊娠を理由に、管理職から降格させるようなことは違法である、 という画期的な判決だ」
【評価しない】  「会社の役割に応えられないのなら降格は当然」 「権利ばかり主張して、わがままである」
と、賛否両論あるものの、時代の潮流からも、【評価する】が優勢と見受けられました。

ボクも、未だにこのような女性の権利が守らていない日本社会は遅れている。わが社は1歩も2歩も進んだ企業にしてゆくぞー!と昨年メンバーの前で話していたのでした。そもそも、UDATSUが「仕事とやりたい事が両立できる企業」というモデルを思いついたのも、ボクの経験から、子育てしている主婦が、仕事に復帰しようとしても、「子育ての時間と仕事とをやりくりする」という制約から、選べる仕事の多くがパートタイム。これはもったいない、優秀な女性の労働力が家庭に埋もれている。これはウチがその受け皿になろう、というのがきっかけだったのです。

インターネットに判決文が公開されていたので読んでみたのですが、メディア報道やその世論は、ほとんで触れられていない核心(職場の風景)が見えました。そんな簡単に論ずるべきではない複雑な内容でしたよ、ホントに。
この訴訟の争点は、妊娠したことを理由で降格させることは男女雇用機会均等法で違法とされています。しかしその例外は本人の承諾があれば違法でないこと。この「承諾」があったかどうか、です。

マタハラを受けたと訴えた女性の経歴を時系列で。

1審2審では、復職した女性が自ら希望した「軽易な仕事」が出来る部署は小規模であり、すでにそこには主任職がいたという状況を考えれば、降格は止むを得ない判断であるとして、女性は敗訴。しかし、最高裁では、病院が「本人の同意」の意味を踏み込んで解釈し、真の承諾とは言えない、という判断がなされたのでした。判決文の中で職場での風景が想像できる記述が2か所あります。

  • 異動先の決定
    「他部署の中には、この女性が配置されるなら辞めると言っている同僚が2名いる部署もあり、復帰先も限定されていた。」職場の中でも処遇や対応がかなり難しい女性であったことが推察されます。そんな中、2回の産前産後休暇+育児休暇の後も、復職が受け入れて可能な部署をなんとか調整していることからも、病院側はかなりの努力をしていると言えるのではないかと思います。
  • 異動の時の会話
    「希望の部署は副主任が必要ない」と話し合い降格することに。4月1日付で、降格して移動させようとしたら、本人から「移動した後の降格にしてほしい」「ミスを犯して降格して飛ばされたように周りに見られるから」というやり取りがあったことが認められています。

これを「承諾」と言わなければ、世の中どうなってしまうのでしょうか?サラリーマン、本当は納得がいかなくても、会社全体のため、ともに働く同僚の為、家族の為に、ぐっと我慢するという場面はたくさんあります。
しかし、最高裁判所はこれを、「真の承諾」ではない、と判断しました。「真の承諾」とは、「あの時はいやいや了承したけれど、本当は心から納得してはいなかった」と後から言ってもいいのだ、と判断したと言えます。まるで、容疑者に無理やり自白を迫った警察と同じような扱いに見えますね。
それを報じるメディアも「働くママを応援するぞ、ジャパン!」「マタハラがまかり通るブラック企業はとんでもない!」という空気を醸し出しています。最高裁判所は、現実社会の企業に漂う空気はわかるが、それを私たちの権威で打ち破るのだ、だから踏み込んで判断するのだ!と言っているみたいに見えます。

比較的条件が恵まれている大企業でさえ、子育て中の働く女性は、同僚たちの眼を気にしながら、申し訳なさそうにしなければいけない空気を感じてしまう「不自由さ、理解のなさ」を、もっと低次元のマタハラが横行している企業も確かに存在しているようです。
産前産後休暇+育児休暇、その期間職場ではその女性の役割をだれかが担っている。または、新しい社員を会社は採用して充当している。そのことに同僚や会社への「感謝の気持ち」を持ち、「そのしわ寄せが自分に来た!不公平だ!」と言われない、いや、言わせないほど必死で働く女性は、同僚からの信任や応援を獲得するでしょう。つまり、このような能力のある女性でないと「真の共感」は得られない、というハードルが存在するように思います。それをクリア出来ないと、「あんな勝手な人が異動してきたら私は止めます!」という人が出てきたり、子育てをする女性が不自由を感じながら働く、ということが起こってしまうのが今の日本企業のレベルであり、それが現状ではないでしょうか。

6名という中小企業を経営しているボクの正直な気持ち。低レベルかもしれませんが。。やりたいことと両立できる、何をやってもいい企業であることを謳っています。短時間労働でも成果さえ出せば、あたなの仕事の価値を認めて評価する、そのことがやる気につながり、短時間労働でも逆に集中力を発揮して、すごい成果を出せる能力のある人と一緒に働ける可能性にボクはかけています。今、メンバーに子育てママはいませんが、自分の法律で守られた権利、やりたい事と両立できる企業にいるという権利ばかり主張する人がもし職場にいたとしたら・・・ぞっとします。共に働くつもりはありません。
ボクがこのように感じてしまうその底流には、ボク自身が公(世の中)に対する義務感覚があります。「子供は国家や社会が育ててゆく責任がある。」という発想はほとんどなく、「あなたの子供はあなたの自己責任で育てるものである。」 というのが前提条件である、と考えているのかもしれません。ボク自身も、将来もっと「公」に向かって義務を全うする意識が高くなったその時には、こういった女性の権利さえも、受け入れることができるのかもしれません。
この訴訟、高裁への「審理差し戻し」ですから、高裁でもう一度判断がなされることになります。一体、どのような結果になるのでしょうか?