こんにちは、宮島です。ボクは子供の頃から、新しく折れ目の入ったズボンをはいたり、新しくピカピカのカバンを持ち歩いたりすること対して、こっぱずかしい気持ちがいつもありました。おろしたてのスニーカーをわざと汚してから履きはじめたりして。三つ子の魂、百までも。。いまも大して変わらない行動をしています。
【こっぱずかしい気持ち】
先日も、新しく購入したリモワのスーツケースにニスを塗りたくって、ペーパーでおおむね削り落として、「使い込んだ風」に仕立ててから旅に出ました。
どうでしょうか。やりすぎ感は極力抑えたつもりなのですが。。。なんか、買ったばかりのリモワだもんねー、と言わんばかりのピカピカのスーツケースを使うという、どうしてもこのムズ痒い感じを我慢することが出来ません。
また、ある時には、マーチンのブーツの新品がどうしてもピカピカでこっぱずかしかったので、物件の解体というハードな作業に履いていって、ホコリ、廃材の古釘やガラにまみれて、2-3日であっという間に、「使い込んだ風」の靴に様変わりさせたのです。
うーん、これでようやく普段履けますね。
【新しいだけ、という価値】
こっぱずかしさとは別の理由で、「新しい」という人の手に渡っていないという特別な価値、これは、それを手に入れた人の満足感でしかありませんから、手に入れた瞬間に消えてなくなります。誰の手にもわたったことのない、これから自分だけが好きなように使っていくこと、処女性みたいな価値にも通じるのではないでしょうか。もちろん人それぞれの趣向ですから、新しいモノが悪いわけではありません。貧しさから、新しいモノを手に入れられず、古いものを使いまわしていた時代には、「新しいモノ」はみんなの憧れでした。今も日本人はその時代の価値観を引きずっているのです。
もしも、大多数の日本人が新しいモノよりビンテージモノがいいとなってしまったら、商品を生産する企業にとっても都合の悪い市場になってしまいます。
ボクはその一時的な満足感を、「もったいない」と感じてしまいます。
車は新車を一度も買ったことはなく、全部中古車でやってきましたし、時計も中古の時計しか身に着けたことがありません。
また、自分で使う建物にも同じことが当てはまります。
今のUDATSU事務所も、建築後約70年経過している日本家屋です。いわば、「快適さを手放して、味わいを楽しむこと」日本伝統の在来軸組工法で建てられ、丸太の梁がどっしりと建物を支え、壁は泥壁に漆喰が塗られ、床板は40年前の檜が貼られていました。多少傾きはあるものの使い込まれた良さが存分に味わえる反面、冬は凍える様に外気より寒く、夏は・・・甘くないです。
ボクが新築のタワーマンションに住んだことを想像すると・・・なんか、こっぱずかしくて、もったいなくて、落ち着いて眠れないかもしれません。もしかしたら、ボクはUDATSUのリノベーション事業を「これで行こう!」と思って始めたのは自身のこういった性格、趣向がその源泉になっているのかもしれません。
UDATSUは古い建物をリノベーションして販売しています。物件に施された「ちょうどいいリノベーション」は、使い込むほどに味が出る材料が使用され、価格はほどほど、それぞれの間取りプランは、過去に手掛けた物件のすべてが、一定期間で売却できていることからも、流動性が提供されている商品です。(中古住宅マーケットでいつでも売ることが出来るということ。)
「新しい」というだけの価値がどれほどのものか、それを「本当に自分にとってふさわしい価値なの?」と疑問を持って見直してみるのも悪くはありません。もし、自分にとってそれが「一時的な満足感という感情」であったとしたら?それを手放すことによって、もっと自由な選択肢を手に入れることができるはずです。
自分の理想の空間を、経済面で合理的に手に入れる方法が、古い建物をリノベーションするということなのです。