最近の若いもん vol.1(働き方)

February 10, 2015

こんにちは、宮島です。先週から連載されている日経新聞の記事で、え?、と考えさせられるものがありました。「アジア10か国の20代の若者に対するアンケート調査をした結果」いったい日本の若者は、これからどうなってしまうのだろうか? と。ボクがそれを、たまたま出た調査結果として流し読めずに何かが引っかかったのは、自分の身の回りの出会いや出来事の中に、「確かに」と思い当たる節があったからなのです。アンケート調査の質問は、「何のために働いているのですか?」

  1. 日々の生活の為
  2. 豊かになる為
  3. 家族の為

先進国であるはずの日本の若者は65%が日々の生活のため、と回答していて、シンガポール57%、マレーシア56%を引き離しダントツのトップ。豊かになる為に働いているアグレッシブな国は、中国38%、韓国36%とお国柄そのもの。(日本はわずかに18%)家族の為に働いている国は、フィリピンとタイが35%と家族の絆が本当に強い。(日本はわずか6%)
つまり、日本の20代の若者は、自分の将来の為でもなく、家族の為でもなく、ただ目先の生活の為だけに働いている・・・この結果をどう考えればいいのでしょうか。

日本は1990年代に世界が席巻するほどの経済的成功を成し遂げたわけですが、その後のバブルの崩壊で、その成功モデルが持続可能か、本当に正しかったのか、答え合わせを10年ほどやって、出てきた答えは「成長社会でしか成り立たない持続可能でないモデルだった」ということ。その後2000年頃からは、多様化、成熟社会になったとされ、経済成長は止まりました。
すると世の中は、若い人に対してこんな空気だったように記憶しています。「みんながNO1を目指すことは必要ないんだよ」「いまのあなたそのものの個性が、元々特別なオンリーワンなんだよ」「アスファルトに咲く花の様に、きみたちは流した涙の数だけ強くなれるんだよ」「君のために、明日は来るんだよ」

しかし、就職活動という現実世界へ出る出発地点からは、いきなり競争が始まり、不況を背景に就職できない大学生が多発、会社に入った後には、当然のごとく競争することが待っている。現実の世の中は、涙を流しただけでは、明日は君のために来なかったし、元々特別なオンリーワンなどという基準はなかったのです。その結果、若い人たちの価値観の傾向として、世の中の為、社会貢献、NPOやNGO、ボランティアに強い関心を寄せ、反面お金を稼ぐこと自体にはさほど興味がなく、純粋でまっすぐな若者が随分増殖したように見えます。このこと自体は悪い事ではなく、間違いなくいい事であると思います。
しかし、一人前の職業人(プロ)になっていなければならない30歳になった時に、「あなたは、何が出来る人ですか?」と聞かれて、「はい、ボクは社会貢献が出来ます」「・・・・」
ボクたち世代で言えば、部長クラスの人が転職の時の面接で、「あなたは、何が出来る人ですか?」と聞かれて、「はい、私は部長が出来ます」というのと本質的の同じように思います。
社会貢献<奉仕の精神>そのもの自体だけなら、労働マーケットでの市場価値はほとんど無価値ではないでしょうか。今、改めて20代の人たちに必要とされているのは、生活のための仕事を、プロとして目指す方向を見つける事です。それには、「本当にやりたい事を自分の仕事にする」ということは幻想である、というくらいの割り切りも、時には必要なのかもしれません。

若い人を一括りにするわけではないのですが、20代の人たちは、「働く事の目的・意義」に納得することを、すごく求めているように見えます。リーマンショックの時に、派遣切りにあった人たちが集まる「派遣村」に、気仙沼のタラの切り身を扱う水産会社の社長が人手不足で、「ウチで働かないか?」と声をかけに行ったところ、「私は、そういったキツイ仕事はやりたくありません」と断られたそうです。
ボクたちの時代は、先生から、先輩から「やれっ!」と言われれば、目的や意義など考えずにただやったのが当たり前でした。後に、そこにはそれなりの目的が実はあったことがようやくわかったりして。つまり「非合理」が当然のこととして受け入れられていた社会だったのだと思います。
しかし、このロジックを今の時代に当てはめることはできません。今は、人は意義に納得することなしには決して動かない世の中だと思います。だからこそ、そう簡単にあるはずのない理想を探しつづける。納得できる理想の仕事がみつからない場合に、夢や目標を見失ってしまい、日々目先の生活のためにやりたくもない仕事をし、本当の自分は今の自分ではない、という風になってしまっているのではないでしょうか。

その反面、人の為、世の中のためになっている、社会にインパクトを与えているんだ、お客さんがすごく喜んでくれている顔が直接見える、というように納得できる意義がみつかりさえすれば、すごい頑張りをみせる世代なのだと思います。 だからこそ、稼ぐこと、お金を集める力がなければ、社会貢献など出来ない事や、会社組織が事業を成長させることそのものが社会に貢献をすることである、ということに気づいてほしいのです。

それにしても、アジアの中で、精神的な意味で負けてしまっているのは、とても残念なことですね。
「最近の若いもんは!」と説教したいのではなく、こんなことを言っているのには理由があります。UDATSUの商品は、誰に向かって提供しているか?20-30代の若いもんへ向かって提供していると、100%断言できます。お金を持っている40-60代の世代へどうしたら売れるか、全く考えていません。20-30代の若いもんは、いくらくらいお金をもっているか?住宅に対する予算はどのくらいか?空間の嗜好はどんな風か?働くことに対しての意識は?ライフスタイルはどうか?そればかり考えています。
自分の家を、毎日の暮らしを、自分らしい空間にすること。これに対して投資する(お金だけではなく、手間や時間や工夫を)ことが、いかに楽しい事か。そういったサービスを提供しつづけること以外にUDATSUの価値はないと思っています。