働かせる気がなければ、脳は止まる(世の中の出来事)

February 15, 2016

こんにちは、宮島です。昨年末に、藤原和博さんが奈良県一条高校の校長に就任されることが報道されておりました。ミスターリクルートと呼ばれ、ビジネスマンとしても大成功された藤原さんは、民間人初の校長となった杉並区和田中で「よのなか科」という道徳でありながら実践的な授業を導入し、地域で低順位だった学校を、数年で学力人気ともに地域トップ校に変身させました。その義務教育での実績を持って、高校教育へ挑戦されるのです。今や高校生の90%が日常的にスマホを使っているそうです。高校生の多数がスマホは自分の手であり体や脳の一部であると考えているのだとか。そこでPCやタブレットではなく、スマホを使ったアクティブラーニング授業という壮大な実験を奈良教育大学、リクルートとジョイントでやる、と聞いてボクには直接的には全然関係ない事なのに、すごくワクワクする気持ちにさせられました。

アクティブラーニングとは、授業で「わかる人?」と手を挙げさせると、勉強のできる10%と目立ちたがりの数人だけ。あとの生徒の脳はほぼ停止しています。これを全員がスマホで意見を送信し、画面でそれを共有するという授業の進め方をすることにより、生徒全員の「脳」がアクティブになる。高校のこういった企ての話を聞いて、大人は?社会人はどうなんだろう?と思います。会議の場で、上司や発言者の話を聞いているだけで、自分の意見を言わない多数の人の脳が活動的でない、と言うのはどの企業でもよく見られる風景ですから、高校生の話、教育業界の話として一歩離れた場所から見るテーマではないな、と感じさせられます。

ボクたちは一体、どれだけ自主的に今までの当たり前を突破し、新しいやり方へ日々変貌していくために脳を働かせることができているのでしょうか?こんな風に考えていくと、自分の仕事でもある社長業の役割は、社員の脳の働きをアクティブにさせるための準備をし、その場を整えること。そのことが最も大きな仕事であることも今更ながら気づきます。
今年のUDATSUは、新しいことに取り組み、脳をアクティブに働かせて成長いちじるしい1年にしてゆくぞ!と励まされした。多くの人の価値観である損か得か?という基準を無視して、正しいことかそうでないか、必要とされているか否か、の基準で行動されている様を見ると、ああ、ボクも自分の得になるかどうかにばかりとらわれていては駄目だ、一時的に損であったとしても、正しいと信ずる行動をする、ことの大事さを感じされた最近の出来事でした。