こんばんは、宮島です。
先週、新メンバーが加わったことをきっかけに、社会人ベテラン領域に入っているメンバーも基本を見つめ直そう!と、マナー講師をお呼びして社内研修をやりました。
その中のお話で、企業のコールセンターの出来事について。オペレーターが使う言葉のなかで、「とんでもございません」という言葉が、印象の悪い言葉NO1になったことから、最近はその言葉を使ってはいけないことになったそうです。この言葉、本来は「とんでもないことでございます」が正しいのだとか。「とんでもありません」なら問題なく、その「ありません」を「ございません」にすると、「とんでもないこと」という名刺の一部に丁寧語が侵入してくる、というワケのわからない状況になるのですね。あーーなんかよくわからなくなってきた。これは、日本語というコトバの象徴的な面だと思います。
何を隠そうボク自身も、コールセンターのオペレーターが、何か質問するたびに「ありがとうございます」を連呼する対応に「カチン」と来て、何かミスがあれば噛みつく、ということは一度や二度ではありません・・・ 少しはオペレーターの方の辛さも想像してみる、という慮りもなくてはいけませんね。
さて話は変わり、今の日本の時代の空気。そこには、個人情報が保護されるのは当然の権利であるとか、労働者としての最低限の権利とか、国民として当然ある知る権利など、権利の行使をするのは日本人、とりわけ弱者ほどそれを前提条件としていいんだ、という空気が漂っています。その空気を醸し出しているのは、リベラル系TV、リベラル系の新聞などのメディア、また、教育界、法曹界もその業界の政治判断を牛耳っているのは、人権や男女平等の価値観を世の中に広めることに貢献していただいた世代、60代以上のリベラル系勢力の影響です。
そんな空気をボクが感じるのはこんな出来事から。先日、札幌ドームでファールボールが目に当たって失明してしまった女性が、日ハムファイターズと土地所有者札幌市を訴えた裁判で、なんと客席とグラウンドとの間にネットを張っていなかった(ゲームの迫力と臨場感を優先する設計)、それが安全対策を怠ったこと解釈され、4190万円賠償せよ、と判決が出ました。大変不幸な出来事で、お気の毒な事故であったことは間違いありません。しかし、ホームランボールが当たってけがをしないように、客席とスタンドには高いネットで仕切られる時代も遠くないのかもしれません。
そんな時代の空気は、これからしばらく先は、安全第一、事故が起こったとき、主催者や設計者がその責任を負いたくない、という公務員的発想が一層広く行き渡っていくのではないでしょうか。
ボクは趣味で海外旅行や、ワールドカップなどの海外サッカーを観戦しにいくのですが、そこで一番感じるのは、海外の有名なスタジアムはゲームの吐息が伝わってくる、迫力がスゴイのにくらべ、日本のサッカースタジアムはとにかくゲームが見にくいのです。
席が後ろだと、傾斜がほとんどないために、遥か遠くでチョコチョコ動いていてモニターのリプレイを見て起こったことを確認するゲームの見方になってしまうのです。世界の有名なスタジアムはそのほとんどが、客席の設計は急角度になっていて、観客がより迫力のあるゲームを上から広い視野で見下ろすことが出来て、ピッチでプレーする選手は、観客のプレッシャーを感じるざるを得ないのです。ホームとアウェイでの圧倒的な結果の差が出る(特に南米のワードカップ予選など)のはスタジアムの設計もその理由のひとつなのです。ブラジルやアルゼンチンでさえ、コロンビアホームでの戦いは、「引き分け」でよし、としているのですから。
日本では、観客の興奮よりも、体の不自由な人や、子供、老人がスタジアムで観戦しても事故がおこりにくいという安全性を最優先して設計されないと許されない常識が出来上がってしまっているのです。
またまた話は変わりますが、先日、渋谷のサイゼリアで、「ベルを押してもすぐに来なかった」という理由で、店員を怒鳴りつけているオバサマをみました。確かにその日のサイゼリアは客がごった返しているのに、従業員の数が少なかった。しかし、299円のミラノ風ドリアが普通に美味しく、ドリンクバーでコーヒー3杯飲んで、お支払は449円。支払ったお金と受け取ったサービスとのバランスを考えれば、これ以上店員のサービスまで言及してはいけません。あのオバサンはモンスター消費者だ、と強く感じて店を後にしたのでした。
ちょっと待てよ。自分はどうなんだ?8万円のデルPCを購入し、調子が悪い時にコールセンターへ電話して、オペレーターの未熟さに腹を立てて、攻撃的な口調でクレームを言うボク。本質的にサイゼリアのオバサンと変わりないのではないのでは?今、気づきました。8万円というコスパのよいこのマシンを自分の判断で購入した。デルのサポートセンターを運営する費用は支払った8万円のうちいくらくらいなのでしょうか。もし、1000円くらいだとしたら、ボクは1000円払って、オペレーターに噛みついているのだから、モンスタークレーマーと間違いなく言えますね。「ああ、恥ずかしい・・・」
支払った金額と受け取ったサービスをどう考えるか?このバランス感覚は、自分で事業をする、世の中へ何かを自ら提供する、あるいはこれからやりたい、という人間にとって、より一層なくてはならない要素はないでしょうか。なぜならば今度は自分が訴えられたり、コスト以上の過剰なサービスを求められる、評価される立場になるのかもしれないのですから。
日本人としての自分が当然持っていると思っている権利についても、どんな義務を果たしているか、を考えないバランス感覚のなさと同じように。