音楽で歴史を作った人(ライフワーク)

January 12, 2016

2016年始まりました。松の内は過ぎましたが、皆さまどうぞ今年もウダツをよろしくお願いいたします。申し遅れましたが経理&よろづ担当つかごしです。
新年一発目のブログがこんなエントリーになってしまいそぐわない気もとってもするのですが、すみません。敬愛するデヴィッド・ボウイが星に還ってしまいました。昨日はまる一日そのニュースを追ってました。30年も大好きだった人が突然いなくなってしまった喪失感は、頭ではわかっていてもそうそう切り替えることができません。2013年に10年ぶりのアルバムが出る時タワレコが配っていたフライヤー、今も家の冷蔵庫に貼ったままです。

人が亡くなるといろんな逸話が語られ始めますが、今回も膨大なエピソードや写真がネットに出回っています。その中でラジオで聞いてとても驚いたエピソードをご紹介します。ドイツ外務省の公式ツイッターが下記のポスト。

壁を壊すのを手伝ってくれてありがとう・・・もちろんベルリンの壁のことですが、なぜ彼にその功績があるのか、最初このニュースを見た時私にはわかりませんでした。J-waveのBEAT PLANETで語られたところによると、その理由はデヴィッド・ボウイが開催した87年のベルリンコンサートにありました。彼は70年代ベルリンに住んでいた時期があります。退廃的な当時の西ベルリンで、のちにベルリン三部作と言われる「Low」「Heroes」「Lodger」が制作されました。87年6月、ベルリンの壁の前で開いたコンサートには、西側に、そして東側にも彼の歌を聞こうと人々が集まっていました(ラジオで聞いただけなので数字をはっきり覚えていないのですが、西側に2万5千人、東側5千人・・・とかだったかな??)彼はベルリン時代に作った「Heroes」を歌う前に、ドイツ語で「壁の向こう側にいる友人たちに送ります」とMCをしました。この曲は壁の傍らで毎日デートを重ねていたドイツ人カップルを歌ったと言われています。


覚えているよ
二人の頭上を銃弾がかすめていった
それでもキスをしたね

僕らはヒーローになれる
1日だけでも

この曲が始まると、ライブ観客が一緒に歌い始めました。西側でも東側でも。当時東ドイツではデモなどの運動は厳しく禁じられていましたが、このコンサートの後、東ドイツで初めてのデモが起こったのだといいます。(これは史実にてらして正確なのかどうかはわかりません。ですが、一応番組の中ではそう語られておりました)そしてこのコンサートから2年後、ベルリンの壁は崩壊しました。もちろんこのコンサートがすべてのはじまりというわけでは無いし、その後2年間の民主化の闘いは平坦な道ではなかったでしょう。でも、ドイツの歴史の一コマにこのコンサートは確かにあって、それが共有されていると思うと、音楽の力の大きさに改めて背筋の伸びる思いがします。1月8日はこのスターマンの69回目の誕生日でした。その日に合わせて発売された「★(BlackStar)」をみんなが聞き終わった頃、彼は行ってしまいました。ちょっと早すぎるよな…でも、なんてかっこいいサヨナラでしょう。こんな人はもう二度と地球には落ちてこないだろうな。