こんばんは。UDATU現場担当大久保です。今回は施工中の現場ではなく、世の中の現場の方からブログを書きたいと思います。
毎日ニュースでは、ISやシリアを中心とする戦闘の状況が流れ、昨日もロシアの戦闘機がトルコ軍に撃ち落されるという異例の事態が起こり、情勢は一層複雑さを増してきています。2週間程前の2015年11月13日(金)にはフランスのパリ市内でISによる同時多発テロがあり130人余りの方が亡くなりました。犠牲にあった方々にご冥福をお祈り致します。
テロが起きた10区、11区は私が2014年の夏に初めてパリを訪れた時に滞在していたユースホテルの近くで、ホテルからコインランドリーに向かい、洗濯の時間を潰す為に散歩をしていた、その場所が事件現場だと思うと他人事とは思えません。
矢印ポイントの部分が当時滞在していたホテル。赤のビックリマークがテロの現場。コインランドリーは地図の真ん中辺り。周辺は良く散歩していました…
そんな中、事件後、Facebookではプロフィール写真をフランス国旗をプロフィール写真の上に半透明過させることが出来き、犠牲になったフランスに哀悼の意を込められる仕様となりました。しかし、その仕様に対し、「フランス以外の国でもテロは起きている」「ガザ、レバノン、パキスタン、アフガン、アフリカ諸国もサポートすべき」「逆にこの仕様はイスラム国を勢いづかせる」等の批判的な意見がすぐに出始めました。その後、その批判的な意見に対して、批判的な意見や、まぁまぁと言った意見、などが交錯し、そのプロフィールの国旗の期間が過ぎていくと同時に、議論も収束していきました。
プロフィールに国旗を貼る貼らないで対立してしまうようであれば平和というのは到底難しいのかなと思う一方で、SNSなど、一般の人が簡単にアクセス出来るような場所で、このように様々な意見を持った人々が議論を重ねられることだと感じます。「なぜイスラム国がフランスでテロを起こしたのか」「ガザ、レバノン、パキスタン、アフガン、アフリカ諸国でのテロはなぜ起こったのか」「イスラム国とはなんなのか」…議論の中に沢山にヒントが散りばめられ、知りたい情報はさらに詳しく調べることが出来るからです。そんな多くの情報の中から私なりにこの問題を述べたいと思います。(あくまで個人的な意見です)
これまで人類は色々な困難を乗り越えながら完璧ではないけれど、今考えられる最良な方法として、民主主義(多数決)という体制を採用し、国家を支えてきました。しかし、そんな民主主義国家を脅かそうとしているのがイスラム国の現状です。しかも、それに加担しているのは、民主主義国家であるフランスやイギリスで育った若者が、イスラム国に入りテロ活動を行っているという事実です。その理由を推測するならば、今の民主主義は多数欠であり少数派(弱者)にいる限りは絶対にその状況を抜け出せないという「格差」に気が付いた人々が、少数派から抜け出す手段としてイスラム国に入り行動をしている可能性があるということです。
簡単にいえばトランプゲームの定番「大富豪(大貧民)」と同じ図式です。数字の3が最も弱く、2が一番強いこのゲーム。ゲーム開始前、大富豪は大貧民から持っている最高のカードを受け取り、一方で大貧民は大富豪から最弱のカードを受け取る。それでは大貧民はいつまでたっても大貧民を抜け出せず、大富豪はいつまでたっても大富豪のまま。そんな状態が続いていることに気が付いてしまったのだと思います。
ただし、そんなカードゲームにも逆転の機会が与えられています。それは同じ数字のカードを4枚出し、持っているカードの強さを逆転する「革命」。そうすることで、大富豪を引きずり落とし、形勢を逆転させることが出来ます。そんな、彼らにとっては「革命」のような行為が、我々民主主義にいる立場に居る人から見ると理不尽な暴力である「テロリズム」なんだと思います。
そんなことを考えていると2007年に日本で話題になった、「「丸山眞男」をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争。」を思い出いだします。
内容ままだ下記URLから見る事が出来ます。
本文の中にこんな一文があります。
戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
持つ者にとっては悲劇、持たざる者にとってはチャンス。それが戦争。今のイスラム国を見ていると思わざる得ません。日本のようなほとんど単一民族であるような国であっても、このようなことが書かれてしまう程、格差が広がっていることは現実であり、それが2015年の現在でも変わらず(若しくはさらに広がっている)のは、日本国内でも考えなければいけないことだと感じます。大本の問題は「格差」ですが、これを根本から解決出来るようなシステムを今の近代国家は持ち合わせていないと思います。(武力による少数派の弾圧しか解決の方法を持っていない)ただし、彼の文章の最後にこんな一文が添えられています。
それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
(赤木智弘)朝日新聞社 「論座 2007年1月号」より抜粋
私もそう思います。暴力や苦しむ様は他人であっても見たくは無い。今のような世の中だからこそ、考えなければいけないことは山ほどあります…