休暇のご案内(UDATSU)

December 28, 2015

こんにちは、宮島です。今日、12月28日は今年最後の営業日となります。明日から2016年1月5日まで株式会社ウダツは、年末年始休暇をいただきます。どこにでもある平凡なやり方で、休暇のお知らせをしてみました。しかし、お知らせひとつとっても、Just informationとして事務的にされる告知ではなく、そこで働く人たちの思いが誰に対してなのかがわかる、ちょっとしたメッセージに触れた時にはとてもうれしい気持ちになるものです。

恵比寿にある「サリュー」というフレンチレストランを、ボクはとても気に入っています。今年の初夏に、お店から暑中見舞い、休暇のお知らせのカードをいただきました。平凡な休暇のお知らせなら、―― 誠に勝手ながら、●~●は夏季休暇をいただきます。営業開始は●~です。 ――こんな風ですね。でも、そのカードには、――いつも以上にエネルギッシュなサービスを提供するための●~●のお休みです。――その最後には、経営されているシェフご夫婦、スタッフ全員のフルネームがあります。わずかな違いではありますが、ボクには大きな違いが感じられました。自分の言葉で相手に何を伝えたいのか?このことをいつも、オートマティカルに考える習慣になっている人と、そうでない人の違いです。

休みを取るということは、配慮、へりくだりを示して、事実だけを伝える無難なメッセージとするのがあたりまえで、それが悪い訳ではありません。波風が立たないという利点がある反面、のっぺらぼうの言葉となります。ダイバーシティ(多様化の共存)とか、グローバル化などの言葉が毎日メディアで取り上げられ、それを聞いて、ふーん、今は多様な社会だからね、などとわかったつもりになっている今。多様化社会の正解は、いろいろな価値、悪く言えばどんなモンスタークレーマーがいるかわからないから、クレームや争いを避ける為にリスクを回避、おもんばかり、コンプラを遵守し、自主規制することなのかもしれません。そんな今、逆に当たり障りのない言葉には、ほとんど価値がないのではないでしょうか。
「あなた、どういう人なの?」「あなた、何がやりたいの?」「あなた、どんな風になりたいの?」といった本音の問いに対して、自分の意思を発信することの価値こそ、これからは、更に大きくなっていくように思います。当たり障りのない言葉は、自動音声や定型文のコピペと〝違い" がほとんどありません。

ボクは、フレンチがあまり好きではありません。それは形式的で、気取っている店が多いからなのですが、サリューは大皿に料理がチョコン、あとはソースで美を表現、なんてことはやりません。贅沢な料理が皿一杯にドーンと盛り付けられ、かつ、品もあり美しい料理とワインと暖かいサービスを、リーズナブルに楽しめるお店です。そんなサリューが、今日をもって店を閉じられるそうです。
大変残念ではありますが、店を表現していた人たちが熟考の末の決断ですから、あれこれ言いません。お疲れ様でした&どうもありがとうございました。森本シェフご夫妻、スタッフの皆さまが次の新しい何かをはじめられるとしても、このようなマインドで自分の言葉を発信し続けるのならば、どこに行っても愛される何かをなさることと思います。